不殺の剣、「天真正伝」



剣術・槍術・薙刀術・・・
多数の諸流派における源流となり、
今もなお廃れることなく
その尊きこ古武流派は600年間、連綿と続いて現存し
伝統の教えが脈々と伝えられている。

『天真正伝・香取神道流』

この天真正伝神道流の創始者、
開祖である人物は
飯篠長威斎家直(いいざさちょういさいいえなお)

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          (室町時代中期 1387~1489)


その昔、
香取神宮で壮絶な修行の末
梅の古木の上において
香取大神の神示を受けると同時に
『兵法神書・一巻』を授けられた
と伝えられた、
古神道武術流派の、大人物である。

元中四年(1387年)、
下総国飯笹村(しもうさのくにいいざさむら・現 千葉県多古町)
に生まれた家直は、
幼少の頃から刀槍の技に優れ、
地元主君の、千葉家に仕えて参戦。
多くの合戦で、一度も敗れたことが無かったという。

だがその千葉氏が内紛によって主君を失うと
家直は一族郎党を解雇、
自らは香取神宮・奥の宮に近い
梅木山に隠棲する


この時、家直は60を越す年齢であった。

幾多の闘いを、たとえ無敗で生き延びても
必死で仕え守った主君さえ、所詮は及ばぬところで滅ぶ。
人の世、戦乱の無情を痛切に感じた彼は、
主君もなく家来も無い
おのれ一つ身きりとなって

武神・経津主大神(フツヌシノオオカミ)を祀る
香取神宮に千日千夜の大願を起こし
“斎戒沐浴粉骨砕身”
(さいかいもくよくふんこつさいしん)
の修行に没頭
大いなる武神と向き合う。

その末に

『汝、後に天下刺客の師とならん』

との御言葉とともに、
兵法神書を授けられた
のである。

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以後、
自ら編んだ兵法を
経津主大神の真伝を以って、『天真正伝』とし
香取神道流
を名乗る
ことになる。

ちなみに
“天真正(てんしんしょう)”とは
香取大神のことを言う。

武術とは、闘争の技の精華であるが
天真正伝神道流が最も強く教えるのは、
“不殺の思想”であった。

天真正伝香取神道流の目録、
巻頭書には、こうある。

「兵法は、平法なり。
男子為る者、
平法を知らずしてあるべからず」。


いたずらに武技を用いて人を傷つけることなく
戦わずに目的を達することこそ、
真の勝利であるを、心得よ―――。

不殺の教えを伝える香取神道流の修行者には、
刃傷ごとで命を失った者が
全くといっていいほど
存在しなかった、という。

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後に次々と生まれてゆく
あらゆる武道・武術の
最も根幹的な流儀武術の流派として君臨した、
『天真正伝・香取神道流』


その開祖である飯篠長威斎は、
後に
「鹿島神流」を開いた、松本備前守や
「鹿島新影流」を開いた、塚原土佐守、
「鹿島新富流」の塚原卜伝、
などの
優れた高弟を育てあげてゆく。

60歳を過ぎ越して、身を極め
香取大神の伝授を受けて後、純粋な武術を求道。

武道家でありながら
無益な闘いは一切せず、を貫いた
偉大な武芸中興の祖となった彼は
当時としては
奇跡に近い102歳という、大長寿を全うした。

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その墓石は
今も香取神宮旧参道の奥の宮入口にあり、
欠けてはいるが
当時のまま残っている―――という。