埋もれた心霊考古学



1908年。

英国南部グラストンベリーにある
「聖マリア・ベネディクタイン修道院」跡を
発掘調査することになった。

この場所は、
アーサー王伝説に纏わる
キリスト教以前からの宗教遺跡があり、同時に
最初にキリスト教が伝わったという
かつては何百人という僧が集い生活した、
一大宗教センターがあった。

が、
カトリックを嫌ったヘンリー8世の時代に
徹底して破壊されたという
歴史の悲劇に沈んだ遺跡
でもある。

この発掘調査の指揮を執ったのは、
フレデリック・ブライ・ボンド


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(Frederick Bligh Bond:1864.06.30~1945.03.08.)

中世教会建築研究家であり、
学校や病院等の公共大型施設を設計してきた彼は
その実績を買われて
英国国教会から発掘調査を依頼されたわけだが
一方で
神智学協会やフリーメイソンリー、英国心霊調査協会SPR、
さらには薔薇十字協会などへも入会しているという
筋金入りのオカルティストでもあった。

ボンドの長年の夢であった、
聖地グラストンベリー遺跡の調査。

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(Glastonbury Abbey)

だが、ヘンリー8世のカトリック迫害により
あらゆる資料や書物・美術品・建築材料に至るまで
壊滅的に持ち去られ廃棄されたために
一体どこから手をつけて調査に入ればよいのか迷った彼は、
友人の、アマチュア霊能研究家である
ジョン・A・バーレット大尉に相談。
バーレットが行う自動書記を、試してみた
のである。

バーレットが手をボンドの手に重ね、
招霊し誘導する形で、交信は開始された。

『グラストンベリー修道院について、
何か教えてもらえるだろうか?』


その問いに対し、

『YES,』

と答えが返ってきた―――、

これをきっかけに
“修道士ウィリアム”をはじめとする僧侶や職人、
教会に従事していた作業員達の霊を呼び出して
詳細な情報を次々と導き出し
建物の全体図面までをも描き出すことに成功

まったく知られていなかった
「東の端にあった大きなチャペル」
を知らされ、教えられたとおりに掘ると
見事、チャペル跡を発掘したのである。

歴史に埋もれていた、
知られざる遺跡を掘り起こしたボンドは
この成功の第一歩を機に、
“霊たちのお告げ”によって次々と
食堂・僧達の宿舎・本堂・集会場・キッチン・・・
などを復元してゆく。

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(Glastonbury Abbey)

しかし、この輝かしい栄光が
彼を油断させたのだろうか。

1918年、
ボンドはこの発掘調査の詳細を
【記憶のゲート】という著書にて発表


あろうことか、遺跡発掘の情報源が
「交霊実験による自動書記」からであり、

「グラストンベリー遺跡に憑いている冥界の住人との対話」
も詳細に記してしまい、
この経験を【心霊考古学】として
世に知らしめた


当然のことながら、

考古学学会では完全無視、あるいは非難を浴び
ボンドに調査を依頼した英国国教会側も、激しく動揺。


多数の監視人を派遣し
横槍を入れるようになった挙句、
予算の大幅削減を余儀なくされ、1922年にボンドは
調査責任者を解任されて
現場への立ち入りも禁止される
という
取り返しのつかない憂き目にあったのである。

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(The Gates of Remembrance:1918)

ボンドのグラストンベリーにおける
輝かしい功績は、結局
“考古学歴上の汚点”という判断を下されてしまい
まもなく発掘作業そのものが中止


これだけではなく、
それまでに掘られた遺跡の一部は
埋め戻されてしまった


あまりのことに
ボンドは再度現場へ戻ろうと試みたが
教会側の頑固で巧みな抵抗もあり、
とうとう挫折。

1945年にこの世を去るまで、彼は
グラストンベリーでの交霊に関する著述に
没頭するのである。

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現在もそのまま

グラストンベリー修道院の遺跡は
地中に埋もれ
ており

ボンドが発見し情熱を注いだ考古学・歴史学資料もまた、
現代の考古学者たちに無視され
ながら埋もれ、


眠り続けているのである。