P.H.の偉大な業績 (前編)



1941年7月10日。

第二次大戦中のオランダで
レジスタンス活動をしていた30歳の男性

ゲシュタポに追い詰められ
梯子へ登り屋根をつたって逃げようとしたものの
梯子のてっぺんで足を踏み外して落下

肩の骨折と脳震盪を起こし
4日間、意識不明に陥った。


脳外科手術が行われ、オペは滞りなく成功。

彼は一時的な失明状態のまま意識を回復したので
軽い混乱を招いたが
数日程度で視力の後遺症も癒え、落ち着きを取り戻した。

まだ小さかった子供を近所の友人に預け
毎日見舞いに来ていた妻は
少しずつ回復し普通に会話が出来るようになった夫に安堵しながら
病院へ通う毎日だった。

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ところが、ある日の午後。

いつもの通り病室を訪れ、顔を出した妻を見た途端
夫は突然取り乱し、興奮した声で

「早く帰るんだ!息子を助けるんだ!
息子を預けている家が、火事になっている!!」


いきなりそう怒鳴られた妻は吃驚し、
急いで家へ戻った ――― が。

火事はおろか、
何事もなくご近所は平和そのもの。


いやだわ・・・。
私もバカよね、主人の剣幕に押されてつい慌ててしまったけど
サイレンの音すら響いていなかったのに
よく考えもせず、こんなことして。
それにしてもあの人、今頃になってまさか、
脳の後遺症・・・とか出てきたのかしら・・・?
それとも、息子を預けている友人が嫌いだから
あんな言い方したのかしら?

尋常ではなかった病室での夫の様子を思い出しながら
とりあえず息子を預ける家を別に頼むことにした

不安がよぎる心中を押し隠し、
健気に振舞い、毎日の見舞いを欠かさず
病院へ通い続けた、

だが、
その5日後

以前、子供を預けていた家は
原因不明の突然の出火により全焼

あっけなく焼け落ちてしまったのである。

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これをきっかけに

彼が病院へいる間、こうした突発的な出来事が
頻繁に起こるようになってゆく。


たとえば、

朝の検診で病室に入ってきた看護師を見るなり
彼は言う。

「いつも良くしてくれてありがとう。
ちょっと不愉快かもしれないけど落ち着いて聞いて欲しいんだ。
通いは電車だよね?でも、そのいつも乗る電車に気をつけて。
大事なスーツケースをなくしてしまうかもしれないから」。

ベッドに横たわっている30男の患者が発した言葉を
冷静に聞いていた看護師は直後、目を見開きながら、
こう答えた。

「今朝、スーツケースをなくしたんです。
・・・・・・どうして知ってるんです?」。


そして、彼の隣のベッドの患者。
彼より若い、20代前半の少々スレた・・・つまり、
ヤサグレた雰囲気を隠そうともしない、態度に問題ある若者だった。
彼を見舞いに来るのはいつも父親。
母親や恋人・友達などは一人も訪れない。

ある日、見舞いに来た父親へ
つっけんどんな冷たい態度と言葉を浴びせた若者へ
彼は語る。

「きみ、自分の言動を振り返ってみたまえ。
君の父さんは、今、世界が戦争で物資も金もひもじい中、
自分が死んだ後、いざという時
何かの足しになるように・と、形見のつもりもあって
懸命に働いて、君へ腕時計をプレゼントした。

本当に一生懸命、
君の知らないところで2つ3つ、仕事を掛け持ちして。
とても立派な腕時計だっただろ?
ところが君は、その立派な素晴らしい腕時計を
サッサと売りさばいて金に換えて遊んでしまったね?

そんな君が、毎日のように見舞いに来てくれる父さんを罵倒する。
何を考えているんだい?
批難して文句しか言わない君は、何も知ろうとしないじゃないか」。

それを聞いた父親は、静かに涙ぐんでいた。
そしてベッドの息子は、
最初こそ隣の男を激しく睨みつけていたものの、
話が終わって、横でうなだれ小さくなっている父を見てから
静かにこう言った。

「その人の話、本当なんだ・・・。ごめんなさい・・・父さん」。

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ひそやかに
病院内で彼の透視や予言が評判になりつつある頃、
ようやく退院となった。

時を置かず彼は、
大怪我の体験にも怯むことなく
再び、レジスタンスに参加。

戦争の激化と共にレジスタンス運動も活発になったが
活動に参加してくる人たちの中には
スパイ
(ナチス・ゲシュタポ側)も多く、
それが各地のレジスタンス活動を
大きく妨げる原因の一つ
であったが
彼のグループは難なく、その問題をクリアしていた。

何故なら、一瞬で彼が
本当のレジスタンス志願者かナチスのシンパなのか
正確に見抜き
、判断していた
からだ。


実に見事な
一つも間違いがない、完璧な透視であった。


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(Peter Hurkos / Pieter van der Hurk
1911.05.21.-1988.06.01.:the Netherlands)Pht add by:R.Moody


彼の名は、
ピエテル・ハン・デル・フルク
(Pieter van der Hurk)。

30歳のドイツ系ペンキ職人だったが
事故により、強い脳震盪を起こしたのがきっかけで
超感覚的知覚能力(ESP)を発揮


後に
レジスタンス活動時に使っていた名前
ピーター・フルコス(Peter Hurkos)と改名
し、

戦後、
自らの特殊能力をもって

大々的に
世界の表舞台へと立つことになるのである。