「うかび」の啓示「まとう」の信 (前編)


1887年(明治20年)10月3日。

兵庫県氷上郡小川村(現・丹波市)に
一人の女児が誕生した。

名を千代子という。

病弱な母と
近所の氏神を熱心に信心するが
商売がどれも破綻して生活力に乏しい父。

そんな両親の元に生まれ、
11歳に母が病死してから兄弟達の世話や家事に追われるという
子供らしい時代をすごせなかった幼年期だったが
成人した暁には、呉服屋の番頭の夫と男の子を授かり
ひと時のささやかな幸せを得た。

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だが、その夫は
商売の旅先で金品を取られた上
毒殺されてしまう


失意の中、千代子は乳飲み子を抱えながら
父親と共に飲食店を経営。
そこで2度目の夫(内縁)と出会う。

地方公演の花形役者で活弁士という
見てくれ良いが、収入少なく遊びは派手な新しい夫
に対し
父は嫌悪感をあらわにする。
仕方なく千代子は息子を置いて
夫についてゆき、大阪に居を構えた。

口より先に手が出る亭主関白の夫は
少しの稼ぎを殆ど遊びに使い込み、生活が苦しい千代子は

それでも残してきた長男のために
仕送りとして裁縫などで夜なべ仕事にせいを出した。


そして彼女が31歳、
1919年、4月
ごろ
のこと。

突如、フッ・・・フッ・・・と
いろんな事が、心に浮かぶことが多くなり

それがまた不思議なのだが
心に浮かんだり、
思ったことが まったくそのまま
思い通りになってしまうという体験
をしてゆく。

最初は戸惑ったが、それ以上の事は何もないので
夫には黙ったまま過ごしていたが

それから約3ヵ月後の
7月16日。

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夜なべをしながら見上げた月が
あまりにも美しかったので、
半ば無意識に「ありがたい」と手を合わせたところ

合掌した手が上にあがり、

続いて


『神の使いし女(め)として、世の中の道具といたす』


との言葉
が、
頭の奥で響いた。


この直後から4日間、
千代子は睡眠も食事も取らず

いわゆる“神がかり”状態は続いたという。


しかも、
これだけでは終わらなかった。

いきなり夫の良妻であることを止め、
何事も神から下される啓示に従って動くようになる。

神の啓示を
彼女は「うかび」と呼び


その「うかび」を行動の基本として、
厳しい行へと身を投じていく。


やがて彼女の霊力は
“円手町(えんでちょう)の偉い神様”
と世間で評判となり、
昼夜を問わず、多くの人が押しかけてくるようになった。

それが仇となって
近所から苦情が出、家に居辛くなった他、
国家神道以外の宗教に対して
厳しい監視の目があった時代
のせいもあり

警察からのきつい干渉や、
物見高い人々の中傷・非難が昂じて

大阪西円手町の家を去り、
彼女の支援者や支持者の家を転々とする生活
余儀なくされた。

そしてこの生活は、
約5年半にも及ぶのである。


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(Chiyoko Fukata 1887.10.03.-1925.01.06. JPN
/pht by www.ennokyo.jp)


だが、そんな苦境の中でも

深田千代子は
独自の修法と霊感で多くの奇跡現象を現し


大阪をはじめ、西日本各地で
伝道活動に入るのである。