「うかび」の啓示「まとう」の信 (後編)



神がかる前の千代子は

夜なべの縫い物仕事を夫の知らぬ間にし、
家計の不足を補いながら
夫の名前で実家へ仕送りをしていた。

夫からは終始
極々僅かな生活費しか渡されず、その中で
「食事は常に三品揃えろ!」との横暴に従い
自分の分は削ってでも夫につかえ、
徹底して物を大切に使い、非常につましい生活を送った。

その様は、

ボロ屋や紙クズ屋からでさえ
「あそこの家で物を買っちまったら雑巾にもなりゃしないよ」
と馬鹿にされるほど
だったという。


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それでも彼女は
いつも身だしなみを良く整えていた。


帯をきれいに太鼓に結び、
丸髷をきちんと結った千代子は
いつ見ても
たいそう魅力的な姿であったという。


神がかりがあった当初、
彼女は戸惑い、自分の身を案じた。
生活苦で気が狂ったか?
それとも病気になってしまったか?
・・・と。

“神から降りてくる啓示”
千代子が言うところの『うかび』に逆らったり
無視したりすると、
実際、体に猛烈な痛み
が走り


これは神ではなくて、狐か何かに
取り憑かれたのではないか?

そう一人泣き、悩み、
葛藤にあがいた。

やがて彼女が神秘的な力を現し
透視や予知・治癒や霊感が良く当る、と評判になったが
そうなったらなったで

救いを求めて来るならまだしも

呪術の依頼や金銭物品の無心、
世間からのからかいや非難、
警察からの強い監視と干渉、
さらには、妻に出て行かれた形となった夫からの
謂れの無い罵詈雑言やウソ話、何通もの非難の手紙

等などが、後から後からやってくる。

大勢多数の支持者や弟子を得る一方で
それと同等の、
ある意味“苦行”とも言える経験
常に受け続ける人生
であった。


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1925年1月6日。

享年37歳で、心臓弁膜症により
深田千代子は帰天


生前、彼女には
教団を作る意思は無かったが
千代子の死後、
直接教えを受けた弟子達によって
その修行法や教えが継がれてゆくことになる。

1925年、円応法修会が設立。
1948年に千代子の一子が立ち、宗教法人円応教となった。


深田千代子の教えた信仰対象は

『まとう』

と呼ばれた。


その対象は神仏だけでなく、
先祖代々や友人知人の魂・霊・そのまた御先祖、
人生の先々でお世話になった人達や、ご縁の繋がり等

つまり、

信仰対象は“各自の自由”とする、
汎神論的なもの
であった。



そして
彼女が特に強く説いた教えは、

「善悪の見極め」と「誠」


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37歳という、
人生の半分にも満たない、短い命の道ではあったが
大阪を中心に西日本各地を伝道活動しながら
書簡、自叙伝、行場日記を綴り

残している。

『神の使いし女、世の中の道具』

として

『うかび』という天啓
『まとう』という信仰


この二つを忠実に生きた

人間的な魅力溢れる
波乱の人生を歩んだ、女性神秘家であった。