メーテルリンクの住まいには・・・。



モーリス・メーテルリンク

言わずと知れた、世界的に著名な
1911年度ノーベル文学賞受賞作家
である。

(日本でも、登場人物チルチル&ミチルで
とてもよく知られている、
『青い鳥』の作家さんです。)


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(Maurice Maeterlinck1862.08.29.-1949.05.06./Belgium)


実は彼、

超常現象に強い興味を持っていた人物
幾つかの作品に
霊の存在や透視者などについても描いている。

さて、
そのメーテルリンク。

妻と暮していた住まいだが
フランスはルーアン近郊にある
ノルマン修道院を改装したという、
聖ワンドリル修道院に住んでいた
ことがある。

ここらあたりで察することができるが

この住居、予想のとおり
幽霊が出るという、もっぱら評判の住まいであった。

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(Abbey of St Wandrille—Fontenelle Abbey)

ノーベル賞を受賞した、
1911年のある日。

世界的な有名作家であるメーテルリンクは
文学賞を取ったことで各国著名人との交流が益々盛んになり
よく客が滞在することがあったが

その日は、
ロシアの俳優コンスタンティン・スタニスラフスキーと
アメリカ人女性の古文研究家が
客として滞在
していた。

周囲が寝静まり、
誰もが安らかな睡眠中の深夜。

突然、女性のつんざく悲鳴が
スタニスラフスキーとメーテルリンクの目を覚ました。

二人は急いで悲鳴を上げ続けている場所へゆくと
そこはアメリカ人女性研究家にしつらえた部屋。

いささか乱暴にドアを開けると
彼女は緊張して震えながらベッドのそばに立ち

「幽霊よ!幽霊がいたわ、確かにいたの!!
不恰好な、修道士のような・・・
私が寝ている枕元に
かがみ込むようにして立っていた
のよ!!」


興奮のまま叫ぶように二人へ訴えると
真っ青になりガタガタ震えながら泣き出した

とりあえずその場は
恐怖でパニック半ばの彼女を落ち着かせるため
メーテルリンクは妻に頼んで
別室を用意し、ベッドを移ってもらって
解決したものの・・・。

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自分の住居が
近所でゴーストスポットとして有名なのは
承知していたメーテルリンクだったが

住人である肝心の自分や妻が
全くただの一度も霊現象に遭遇したことが無く、
今まで滞在しに来た客達からも、そんな話は全く出なかった

ただのウワサと片付けていた・・・ところに、
初めての霊現象が、
このとき起こった
のである。


作家としての才能に隠れてあまり知られていないが
メーテルリンクは、
霊感がかなり鋭敏であったらしく
その点は本人だけに留まらず
周囲の人間も認めていた。

霊現象がつまらないウワサではなかった事に興味を持ち
作家としての好奇心も強く働いたのであろう、

さっそくその夜、
アメリカ人女性を別室へ案内した後に
交霊を試みることにした。

有名俳優のスタニスラフスキーという他人がいることによって
イカサマっぽい嘘話という非難も避けられる・という考えもあり
彼に証人として付き合ってもらい

メーテルリンクが幽霊の出現した部屋で
ミニテーブルや音(壁や床を軽く叩く)を使い
テーブルの動きやラップ音
によって
いくらかは幽霊との交信に成功した。

アルファベットを順番にメーテルリンクが口にし
霊が答えを伝えるとき
該当するアルファベットの文字に
ラップ音かテーブルを動かすアクションを起こしてもらい

反応のあった文字を繋げて単語を導き出す・・・


そのような方法だったという。

どちらにしろこの方法は
お互い集中力と根気がだいぶ必要であり
長時間の交信を続けるのは困難だったろう。

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(Abbey of St Wandrille)


結果、一番ハッキリ判明したのは
幽霊の名であった。


『私はバートランド。修道士。』


そして交信中に
ミニテーブルが盛んに動いた方向へ
着目したスタニスラフスキーが

翌朝、家の中のその方向を探ったところ
ある部屋の家具の裏から
古ぼけた飾り板を発見する。


バートランドへ。
御身に平安のあらんことを。1693年


時の経過で薄くなっていた文字は
そう書かれていた。


この発見で、メーテルリンクは
かねてからこの自分達の住まいである元修道院に
“秘密の部屋がある”
と伝わっていたウワサはデマでなく、
本当の事
であって、しかもこれは
出没し交信に応じた幽霊バートランドに
関係あるのでは
ないか?


そんな考えが巡り始めた。

そこで、
飾り板を発見し勢いづいたスタニスラフスキーと共に
家中を大捜索。

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(Constantin Stanislavsky 1863.01.17.-1938.08.07./Russia)


特に、中世時代の建築物にはよくあった
“羽目板の仕掛け”が知られている


もし本当に秘密部屋があるとしたら、
中世時代に建てられたこの修道院でそれを見つけるには
羽目板張りの部分に仕掛けがあるのでは?

そう考えた彼らは
すべての部屋の壁や床の羽目板一枚一枚を
軽く叩きながら、丹念に音を調べていった


そうしてゆくうち、とうとう
明らかに音が他と違う羽目板を、一枚発見

音が他と違って低く、
床板の向こうは
空洞らしいことが容易に想像できた。

メーテルリンクは急いで
その床の羽目板を剥がそうとしたができず、

逆に、強く押し開いてみた。


すると・・・


果たせるかな、

部屋というよりは
人二人分程度の空洞が、ポッカリと現れたのだ。

そして、その空洞の中に
寝そべるようにして半分埋もれていた
背を異様に折り曲げた、一体の人骨を発見。



調査の結果、

骨は成人男性であり
不恰好な形で骨が発見されたのは
背を伸ばすことの出来ない空間に閉じ込められ、
中腰のような姿勢を強制されたまま
息を引き取った結果である―――

との事だった。

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この事件。

そもそも霊感の強いメーテルリンクが
何故その日までまったく霊の存在がわからず
近所の噂を性質の悪いデタラメと思ってしまうほど
感知できなかったのか?

であるが・・・


これは恐らく

当時は、ノーベル賞受賞という世界的栄誉が
彼本人の自信となり、
個人的には人生でもっとも華やかな時代
だった。

なので
彼自身のかもし出す“氣”も、眩しく輝き
元修道院という静かで陰鬱な場所に住んでいても
そのネガティブを跳ね除けるだけの、
明るい力強さを放っていた
のは、間違いない。

つまり、

修道院独特の陰気で堅苦しく沈んだ波長
当時のメーテルリンクの持つ、
華やかで明るいポジティブ波長
では
まったく接点が生まれなかった
、ということである。

幽霊・バートランド修道士の姿を
初めて見たのが
女性の古文研究家
―― 職業柄、常に昔を思い
古い時代にアンテナを張る人間――
だったという事実
からして

この解釈で正解であろう。

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これは上記のとおり
1911年にあった実話であり、

他人も同席し、かつ、客達も本人も
世界で活躍・社会的地位もある有名人であったことから
かなり信憑性の高い事件として

当時の英国ゴーストクラブ会長が
編集、記述しているものである。