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しっぽ ふりふり
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異界探求の継承者 D(最終話)

2018/01/01 23:02


宮地水位の異界探訪は、40歳まで活発に続いたが
加齢と共に、徐々に通力が縮小してゆき
1904年(明治37年)3月2日
53歳での帰幽
をもって終わりを告げる。

一度、30代後半で大病を患ったが奇跡的に回復。
その後、5度目の改名で名を『再来(よりき)』とし、
これがこの世での最後の名
となった。

晩年の5年間に、再び病床の人となり
殆どを横になって過ごす生活
であったが
数えるほどの時間しかなかったにせよ、
気分が良いときは近くの川を散歩したり
子供達と魚釣りや野草摘みを楽しむこともあった。

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医者の見立てによるこの時の病名は神経痛とされていたが、
内実は、父・常盤に似通った要因がある。

父ほど大きな禁忌破りではなかったが、
やはり水位も
この世に知らせてはならない神仙界の詳細を記録し、
それをごく限られた人数ではあったが、伝え教えており

その行為の咎め・・・
神仙界からの警告・神罰として身に受けていたのである。

これに関しては、水位自身が記録している。

「幽界は毎々見て別に記し置ける書ありしに
其中には人間に洩らされぬ秘事も多くありて
其の書を人に見せる毎に、
熱病を七日ばかり発する事はいつもたがわず・・・」


天界仙界秘事を
ごく僅かな用心深く厳選した人間だけ・としても
他へ伝え教えてしまうと

そのたびに必ず、彼は一週間と続く高熱を発し床に伏せる
自分のそんな体験や、父の事もあり、
ことごとく思い知った水位は
人間が知るべからざる天界秘事を記載した紙書を
すべて焼き捨て処分した。


だが、中年期を迎える齢であった肉体には
何度も重なる禁則罰が、かなり負担となった。
故の、晩年5年間続く病床生活を招いたのである。

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そしてこれには少々、不思議も加わる。

他人に見せてもいない段階、記録途中から
筆を取った途端、なぜか
書こうとする内容がスッポリ記憶から抜け、
よく思い出そうと筆を置くと、すぐに思い出す。
なのでまた筆を取ると、再び たちまち忘れてしまう。

その繰り返しでどうにもこうにも記録できなかった・・・
という事や、
書に記した後、席を立ち、座卓に戻ってみると
記録した文字や絵が綺麗に消え去った
真っ白な紙があるだけ
だった・・・
こんな事もあった他、

水位の帰天後は

知人や弟子達が水位の遺稿や著作を編纂し
出版しようと原稿作業に入ると、
不可抗力の災害――
台風や洪水被害、地震や出火原因不明の火災etc.――、
のために原稿や資料が無くなったり、
頼んだ印刷所が不渡りを起こし原稿が行方不明、
改稿しようと資料を取りに行くと、それも紛失
・・・など

彼の帰天を待っていたかのように
神仙界の貴重な情報や詳細な記録が
どんどん消えていってしまう
のである。


ようやく出版にこぎつけても
最初に予定していた内容とは程遠い書籍になってしまう
のが
殆どであったという。

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おまけに、
水位が生前に貸した記録集を返さずに
そのまま貴重な記録と共に行方不明となってしまった者

誠実で懐深い水位を軽んじ、
彼の弟子や門人から言葉巧みに諸記録を持ち出し
神仙界の秘事を不当に盗む者も何人かいた


もちろん、単なる不注意で紛失したものや、
加えて時代の流れ―― 時の戦火に遭い
水位が残した多くの写本類が
炎上、消失してしまった
ものも多い。

そして、水位を育てるために
父の常盤が、廃校となった致道館から買い上げた
蔵書本(その冊数、数万冊に及ぶ!)ですら、
水位の未亡人が殆どを処分
してしまい
僅かに残った書籍は、
親戚筋の神学者や宮中掌典職の者へ移譲されたのみ。

(記録だけでなく、神仙界等から貰い受けたり
持ち帰ってきた石や彫り物、砂や木の実・・・なども
残念なことに、殆どが消失してしまっている。)


まるで天の秘事・知恵が
地上へ伝達されるのを徹底的に拒み、禁じた
かのように、
大いなる意思が働いたとしか思えない結果となった。


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だが、宮地水位・常盤父子が
2代にわたって神仙霊幽界を自在に行き来し、
知り得た情報や知識(秘事)を
天界の掟を破る危険を犯してまで、
何故、厳選した極少人数だとはいえ
伝達に踏み切った
のか ――、


私達が一番思いを馳せねばならないのは、
その点ではないだろうか。

大きな理由の一つとして、
あまりにも“神道”が軽んじられて来た
それまでの長い歴史
にある。

飛鳥の時代、海を越え日本国へ上陸した仏教は
地獄・極楽・六道輪廻など、
あの世・・・所謂、死後の世界に関し
非常に体系だった豊かな教えとイメージ戦略
日本に根付いていた死者の霊魂に対する葬儀や祭祀に
上手く密着
し、広く大きくそして深く浸透していった。

対し、神道は
神々の住む「高天原」と死者の住む「黄泉の国」、
この観念だけで成り立った教えで
仏教と比べ、あまりにも漠然
としており
教えそのものも緩すぎて、現代でも
「何の体系化も成されてない稚拙な宗教」
としか理解できない者が、まだまだ山のようにいる


そんな所をカバーすべく、
元もとの伝統的“惟神の道を重視する国学神道”に
仏教の一部や道教、易学などの教えを取り込み混ぜて、
“垂加神道”として何とか生き残ってきた
のが
神道の歴史であった。
(朝廷の支配力が大きく衰えた一因もある。)

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だが、古代より息づいていた
原初日本の国家神道教義復活を望み、
道を開いた国学者・平田篤胤の情熱を組んで
大陸から侵入してきた異教を混ぜ合わせたものでなく
大和民族古来の、混じり気の無い、
純粋な素からの神道
―――
日本独自の精神を尊ぶ宗教を復活させるには
神道が衰退するに至った弱点、
つまり
天界神霊界仙界などの他界観・・・
幽冥観のハッキリしたビジョンを展開してゆくのが
必要不可欠
であった
のだ。

そうして、自らの霊力で
それを可能にした者が、宮地父子
であった。

自分達で積極的に異界の情報収集を行い、
あくなき異界への探求によって
復古神道を見事に確立させた、
彼らは史上優れた、道統継承者たちだった
のだ。


にもかかわらず、
偉大な神霊能力者である宮地の名は、
一般に知名度がかなり低い


それは、宮地水位は
新興宗教などのように
“救い・救済・癒し”をうたって
雑多に多く人を集めても
結局は、暗い因縁とつながった低級な幽区に
集団で送り込まれる
に過ぎない・・・
このことを
すでに異界探求の初期に彼は知った
ので
あえて
正しい神と真剣に向き合い結縁するのが可能な人間を選んで
少数の者にしか秘事や神仙界の術・知識伝承を
行わなかった
からである。

だが、今においても

古神道系の教団や、深い宗教家の間では
その道統の継承を目指し
志し熱く、宮地神仙道の門を叩くものが
少なくない。

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最後になるが、

宮地水位が探訪した“異界”とは
私達が一般的に想像する“霊界”だけではない

彼は異界に存在している『ムー』らしき大陸や
(彼の直筆による絵が残っている。)
「西洋国ひまらや山中内にある、
闇夜でも昼がごとく明るい支那上代の神仙界ありて・・・」
と記述した『シャンバラ』らしき国も
探訪してきている。


彼は幕末明治の人間であったが、
その時代に
“失われたムー大陸”や“神秘の国シャンバラ”
のことを知っている日本人はゼロ
に等しく、

この事からしても

宮地水位は、日本神霊能力者史上
稀に見る偉大な人物であったのだと
窺い知れるのである。




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