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しっぽ ふりふり
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異界探求の継承者 B

2017/11/18 20:31


「我神通霊力は父譲り、父が厳格なる修練薫陶の賜物なり。」

水位は時々、これを口にしていた。

単なる遺伝の幸運として
生まれながらに備わった霊能力に甘え、溺れることなく

さらに研鑽し、学び、誠実に、
神明の道を進んでいった、彼の謙虚な姿勢が伺える。

そんな水位であったから、
彼を指導する師も、第一級の存在が付く。

少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)直下で働く神仙であり
名を、川丹仙人
(道号:玄丹大霊寿真人 ゲンタンタイレイジュシンジン)。
齢はなんと、
二千数百歳の仙人であったという。

こうして水位は
師・川丹(センタン)仙人の手引きでさらに深く、
神仙界をはじめとする多くの異界へ参入してゆき
見聞、探求に邁進するのである。

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だが、彼が20代後半の時
大きな問題が 父・常盤を襲う

「あまりにも珍しく不思議な術を授けられた嬉しさで、
神明に堅く口止めされていた神法を
おもわず信仰者や親しい仲間に語ってしまった父は

禁を破ったお咎めにより
明治三年(1870年)
中風の病(今で言う脳血管障害)を発してしまい、
授かった神法道術や神界の秘事を多く忘れました
けれども完全にすべて忘れたわけではなく、一部は記憶にあり
時々思い出しては弟子達に語るので
ついに神仙の怒りにふれてしまいました

明治十二年には言語を止められ一言半句も喋る事ができず 、
手足もかなわなくなり、
晩年は悲惨な最期
を迎えました


自身の著述にこう記している水位は、それでも
父に悪気は無かった、
ただ子供のように嬉しさが嵩じてのことだった、と

自分の師・川丹仙人を介し、少名毘古那神へ
なんとか父への咎めを許してもらえるよう嘆願し
回復が叶うよう必死で祈りを捧げた


だが、神界からの答えは
この上なく厳しいものであった。

『本来であれば、明治3年に死すべき定めを
生かす代わりに言葉を止めた。
汝の捧げる平癒願いを叶えることは出来ぬ。

されど神仙界へ戻った後は、元の状態に返る』

水位に下りた神言は、非情にも
寸分の間違いなく実現された。

約十年後の明治23年、
言葉を奪われ手足を動かせず
文字通り 寝たきりの十年間
を過ごした
後、
宮地常盤は
多く得た神仙界の貴重な知識や情報・秘密を
伝達することができず胸に秘め抱えたまま、
72年の生涯を閉じたのである。

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地に立ち、天を神を拝し、苦行すること23年
のち、大山祗神と神縁を結ぶに至り
以後の諸神拝謁や、異界往来により幽境78区界を見聞
その神通力は天衣無縫で、天狗の使役は朝飯前、
神明幽理に通じていた。
武術だけでなく書画も嗜み
植物画や師の肖像画なども詳細に描写し、
一流の審美眼の持ち主でもあった。

しかし
これだけの人物でさえ、
“神の理・神界の掟”を僅かでも破ってしまうと
咎め(俗に言う神罰)は、
例外なく下り
実行
されてしまう
のである。

そして

この神界からの“お咎め”は
常磐自身だけに及んだのではない


彼から飛行法の内容・詳細を聞いたのは
29名の弟子達だったが、
どういうわけか、次々と
このうち28名が死去
なんとか生き残っていた一人も
平穏無事な人生とはいかず
奇妙な災難が続き、家がどんどん貧しくなって
極貧に喘ぎながら一生を終えた
という。


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神法を生かすことが出来ない者が
高度の神秘法類を得ると
結果として
どのような結末を招いてしまうのか―― 。


水位の残した(父についての)記録は
強烈な実例を伴った
神事に対する心構えと姿勢の教示として
この時代にも充分に通じる
ものであり、

現代に蔓延っている
生ぬるいスピリチュアリズムへの
警鐘とも言える
だろう。




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